一枚の絵「アゲハが見た世界」

今月前半、久しぶりに都心での個展を開催した。
その中からの1枚「アゲハが見た世界 1」。



アゲハの4枚の羽のうち、描写したのは1枚のみ。鑑賞者の位置をアゲハに接近させ、アゲハの眼をとおして世界を見下ろす視界をつくる。
その世界とは?

例えば、もうもうと土煙をあげながら何かが崩れ落ちている世界。アゲハは間一髪、それに巻き込まれないように舞い上がり、スローモーションのような崩壊のさまを眺める。アゲハの羽は、シルバーの線描のみなので、羽を透かして覗ける下界は手が届きそうなほどに近い。
土煙の中にぼんやりと、書物や時計のようなものが見える。この画像は、意図したわけではなくたまたま転写したものだけれど、人間の英知や積み上げた時(歴史)とみることも可能だ。それが、がらがらと…。


春から夏にかけて、アゲハ8匹を卵から羽化まで観察してみて、人間以外の生き物の存在が、人間を客観視させる鏡の役割を担っているように感じる。無垢な一途な、そしてミラクルな野生の生きざまは、シンプルにはいかない人間世界のさまざまな事柄を顧みさせてくれる。

蛹のとき 〜変わろうとする私たち人間を重ねて〜

春のある日、山椒の葉にアゲハの卵を見つけ、観察を始めたその生態は、驚きと不思議に満ちていました。変化に富む行程のなかでとりわけ不思議なのが、蝶になる直前の蛹の時期です。それまでとは打って変わって、死んだように無反応になる、ファラオの棺のような形の蛹。その内部では、全く目的が異なる体に生まれ変わるための、細胞の死と生成の同時進行、つまり、幼虫の体をどろどろに解体する大改造が行われているらしいのです。臨死のような蛹のときを越えて生まれ変わる小さな姿に、変わろうともがいている私たちの姿を重ねてみます。

誰に教わることもなく、一連の手順を一途に実行して見せた8匹のアゲハが示したのは、”生きる”姿でした。そして9匹目の存在。1匹のみ落下によって命を落としたことは、野生のたくましさの影としてある命の脆さも示し、その1匹によってこの世の真実を見た気がしました。

長い蛹のときを経て、殻を破り、羽をつけて現れたアゲハが意を決したように飛び立ち、澄んだ空に消えたとき、その姿は、アゲハが身をもって人間に示した“生まれ変わる手本”のように思えるのです。




丸山芳子展 「蛹のとき 〜変わろうとする私たち人間を重ねて〜」

会期/ 12月3日〜12月16日 水曜日休廊
時間/ 11:30~19:00 (最終日16:00まで)
会場/ トキ・アートスペース
東京都渋谷区神宮前3-42-5 サイオンビル1F tel&fax: 03-3479-0332 
地図/ http://homepage2.nifty.com/tokiart/map.html

しなやかにつよく

暗くて長い厳しい冬、周囲の大国に翻弄され続けた過酷な歴史 ー 森と湖とオーロラが美しく、穏やかな人々が住む国という印象からは想像できないほどの試練を、フィンランドの人々は乗り越えてきた。
私が出会ったフィンランド人は、潔い決断力とまっすぐな意思をそなえ、他者に優しいエレガントな人々だった。厳しい自然に対峙しているからこそ自然を尊重し、それにとけ込むように生き、精神の充足を大切にする人々。
痛みを知るDNAが、フィンランドの国民性をそのようにしたのかもしれない。私は彼らに、置かれた環境を受け入れて順応する、生物としてのしなやかさを感じる。 

3.11後の地球で生きるすべを模索する今、人間が自然環境に対して挑んだり組み伏せたりするのではなく、しなやかに添い、未来へ負荷を残さない人類へと変わるための鍵は、フィンランドの人々の生き方に見いだせるのではないか?という気がしている。



作品「しなやかにつよく」



展覧会《とても近くに感じるーフィンランドと日本のレジデンスより》に展示。
http://www.youkobo.co.jp/exhibition_events/2012/09/post-203.html

フィンランドと日本のマイクロレジデンスで滞在制作を行ったアーティストによる展覧会。マイクロレジデンスの体験からどのようなインスピレーションを受け、制作活動やビジョンにどの様な影響があったかを振り返るシリーズ「世界のマイクロレジデンス体験」の第一弾。

アゲハの羽化、そして・・・

無反応の物体と化した蛹カプセルは、撫でてもつまんでも、何の反応もない。蛹になったばかりの頃の薄緑と黄色の美しい表面は、乾ききって灰色に変わり、糸で枝にひっかけた姿は、ぶらぶらと揺られたまま。生きている証もない。そんな蛹の期間は、予想よりも長かった。

この中に無事に命があるのかどうかは“その日”が来るまでわからない。なにせ、蛹の中では、全く目的が異なる体に生まれ変わるための大改造として、細胞の死と生成とが同時進行しているというのだから。こちらも小さな物体の中の不思議を、外からそっと励ますしかない。


蛹化してから10日程経ったころ、からからに乾いた尾の部分が、一瞬、ムクンムクンと動いた!まるごと硬化していると思っていたので、動くことにびっくり。不意をつかれて、心臓がドキンとなった。長い眠りからさめた瞬間だったのだろうか?
その夜、表面がみるみる黒ずんできたので、死んで腐ってきたのかも…と心配になった、1匹目の羽化体験。
その後、次々と羽化が続いた。


羽化のタイミングは、すべて明け方。そして、蛹の薄皮を透かして蝶の羽が黒く見えてくるのは、どれも前夜になってからだった。


灰色だった表面が黒っぽくなり、その後、黒い羽の黄色模様がはっきり浮き上がってくる。


蛹の頭部が裂け、羽や触覚をおなか側にたたんでいた蝶が現れる。


殻から抜け出す直前に、茶色いおしっこをするので、すべての蛹の抜け殻は下部が茶色い。


しわくちゃの羽が次第に伸び広がってくる。外は大雨だからか、しばらく居て、存分に魅せてくれた。




すべてが飛び立った後のある日、アゲハが飛来する。うちで育ったアゲハが戻って来たのかな!?とささやかな期待。私の目の前で、庭の柚と山椒の葉に卵を産みつけて行った。生みたての瑞々しい卵がいくつも輝く。


自然はめぐる。命は引き継がれ、繰り返すのだ。

脱皮の不思議

1匹目の青虫では、勾玉型の前蛹から蛹へ脱皮する瞬間を目撃することができなかったので、2匹目からは、タイミングをとらえようと、わずかな変化を見守ることにした。

タライの縁で前蛹化するしかなかった“苦労虫”は脱皮を迎える4匹目なので、それまでの経験から、その兆候を捉えることができた。
前蛹になってから1日後、鮮やかな黄緑色だった表面が、黄色がかってくる。特に背中(下側)には、脱皮して現れる葉脈のような線が透けて見えている。(前の日記の最後の画像と比較参照)
脱皮後に現れる蛹の、バルタン星人のような頭部と“後頭部”のあたりの尖った角のようなものは、前蛹のどこに収まっているのだろう?眼を皿のようにして見届けようと思う。




“その時”が来て、それまでじっと動かなかった苦労虫くんがぴくぴくと動き始める。動くことによって、密着していた表面の皮と中の蛹が離れて隙間ができ、表面が微妙に白みがかっていく。まだ蛹の頭部が現れないうちから薄皮が肛門側にずれて行く。腹部(上側)に並んでいた足のなごりの白い円形を残して、縁取りしていた丸い輪郭線がずれていく…えっ!そういうことだったの?!まるで“イラストレータで作成した最上レイヤーの黒いデザイン画削除”の行程を見ているようだ。



後頭部あたりの皮をやぶり開いたのは、まだ尖っていない“角”だった。バルタン星人型の頭部は、口があったあたりに押し込まれていたらしく、寝癖のようにくしゃくしゃしている。



腹部側をよく見ると、触覚のような形がレリーフ状に見えている。脱皮したてで瑞々しい。



脱皮後の蛹は、みるみるうちに反り返り、乾くとかたちがシャープになる。これは別の蛹の脱皮後、時間が経った姿。



蛹が山椒の枝に付いた姿は、大きさも角度も、ちょうど山椒の葉と同じで、これも擬態なのだろう。
黒い幼虫の時には、鳥の糞に擬態して捕食されない工夫をし、青虫のときには、葉の重なりのデザインを身にまとい、動けない蛹になったら1枚の葉になりきる。反り身の形、山椒の葉の裏側の白っぽい緑色や葉脈のような模様まで、みごとに練り上げられたものだ。感心する。

つぎつぎとアゲハの前蛹化

最初の青虫の蛹化は、初めての目撃だったせいか、すべてが新鮮で、驚きで、不安で…。そして、手がかかるほどかわいさが増す。子供のいない私にも、親心なるものを自覚するような体験だった。“やんちゃ青虫”の無鉄砲さに、他の4匹は、かすんで見えるただの青虫。存在感が薄かった。
人間関係もこんなものかもしれない…ふと思った。私は周囲を配慮する性格なので、兄弟姉妹のなかで一番手のかからない、心配をかけない子だったと自分では思うし、大人になってからも、迷惑や負担をかけないように遠慮したり、我慢したり。それが却って存在感を薄くするかもしれないな…。やんちゃ青虫のかわいさが、それを気付かせた。




さて、1番目の蛹化から遅れること4日目、2番目に大きかった青虫が前蛹になる気配。つまり、やんちゃ青虫と同様、消化器官の中身を出し切る“下痢”をしていたのだ。この虫もまた全速力で這い回るぞ、さあ来い!と思いきや、普段と変わらないゆっくり支度のようだ。
その後の経緯から、この子を“がんこ青虫”と名付けることにしよう。

食を断って徘徊を始めたがんこ青虫くん、やんちゃ青虫がしたように枝先へ向かうのではなく、この虫はなぜか下へ下へ…。山椒の枝を入れている瓶を降り始め、途中からは滑り落ち、瓶の下の糞受け用タライの底を這い、その側面をよじ上ろうとして何度も滑り落ちたあげく、うまくよじ上れるとタライの縁を延々と回る。1周、2周、…元の地点に戻ったことを知らないんだろうな。ほんとうはどこかへ行きたいのだろうか?



そのうち、タライの縁でつま先立ちするように伸び上がる。どうやら、この虚空へ伸び上がる不思議な行動は、お決まりのものらしい。(私も少しずつ学んでいる。)タライは滑りやすいので外側へ転落することもあり、気付かないでいると、タライを置いた私の作業テーブルの縁を這っていたりする。さあ困った。さらに床に落ちて行方不明にでもなったら、うっかりつぶしかねない。

そこで、タライにいるところを見つけるたびに枝に戻すことにした。「ほ〜ら斜め45度。蛹化に最適の枝だよ」と、とまらせてあげても、納得がいかない様子でまた下へ。再び枝にとまらせようとしても、イヤイヤをするように身をよじらせ、私の指にしがみついたり。
なぜなんだ!? あんなにむさぼっていた山椒なのに、なにが不都合なのだろうか? 
外の世界が見たいなら、蝶になってから存分に飛び回ればいい。今は、そこそこの枝に決めてもらえないものかね? …疲れて来た。がんこ青虫にも歩き疲れてもらって、観念して蛹化の行程に入ってもらいたいなあ。そこで、タライの内側でガサゴソしている間は放っておいた。



しばし眼を離していたら、タライの側面につかまったまま、体を縮め始めている!体を縮める前に、することがたくさんあるのに…。
慌ててタライからつまみ上げ、太い枝につかまらせた。案の定、青虫もその枝から動かなかった。ホッ。
しかし、まだ体を支える糸をかけていないのに、蛇腹状に縮んでしまっている。このまま前蛹になって枝につかまる足を離した時には転がり落ちてしまう…。収縮を始めた体は、まるで睡魔と戦っているように、間をあけながらのろのろと型通りの動きをしている。もっと早く気付いてあげれば良かった…。
私の励ましの中でようやく糸掛けが終わったときには、青虫と私は一緒に(?)胸を撫で下ろした。


写真:頭を回して糸の輪をつくる。




残りの3匹の蛹化は、仕事のための不在中や睡眠中だったため、見守ることができなかった。
3番目と5番目は、これまでの2匹の苦労は何だったのか?と拍子抜けするほど、無難に山椒の枝で蛹化していた。
4番目の青虫は、私が仕事に出ようとするとき蛹化の行動を開始した。がんこ青虫と同様、瓶の外の世界に魅せられたようだった。あ〜あ、もうどうなっても知らないよ!と出かけるしかなかった。
帰宅してみると、なんとタライの縁の外側のくぼみに収まって蛹化している! よりによって、ロッククライマーも挑まないような、最も難易度が高いところで…。その姿がいじらしいような、おかしいような。
 
ま、放任していても何とかなるものなんだな。野生の命って、たくましい。 


アゲハの成長に手を貸して

観察している中で最も大きく育ったアゲハの幼虫(青虫)が、いつになく激しい行動を見せ始めた。
葉を食べるでもなく、全速力で山椒の枝から枝へ渡り歩き、先端までたどり着くと虚空に半身を乗り出してぐるぐる動かし、宙に何かを探しているような動きだ。新鮮な葉を求めているのかも?と、新しい枝を加えてあげても、食べる様子はない。数本の山椒の茂みの中をあたりかまわず歩き回り、静かにしている他の4匹の上をズンズン踏みつけながら横切る。下敷きになった青虫は、身を震わせていやがるそぶりを見せる。




一体どうしたのだろう?
たくさんある足で枝をつかめば少々無理な体勢も可能なのだろうが、かなりアクロバティックな動きをするので、とうとう糞を受けるために敷いたタライに落ちてしまった。緊張しながらつかまえて、枝の上に戻してあげた。初めて触れる青虫の体はふわふわとやわらかだった。
やんちゃ青虫は、全く食べずにめまぐるしく動き回る。これは、ひょっとして意図的に消耗するためなのだろうか? 蛹化の前のダイエット? 
落下するたびに拾い上げ、を繰り返すこと10回以上!蝶になる前に死んじゃうよ…と心配になる。
仕事をしている後ろでドサッという音。「おばちゃ〜ん、おちたよう。あげて〜。」って声がするような。私に拾い上げてもらえるのがわかり、わざと落ちて遊んでいる? そうだったら楽しいけれど、昆虫にそんな知能はないだろう。「世話のやけるヤツだ」と思いながら、だんだんかわいくなってくる。



しばらくして、静かになったと思ったら、斜めの太い枝で落ち着いていた。
体の長さを少しずつ短くしながら、枝のまわりに首を回す仕草から、いよいよ蛹になる準備に入ったのがわかった。体を支える糸を口から出して枝につけることを繰り返し、ようやく糸が眼に見える太さになってくる。糸の輪が体のちょうど良いところにおさまるように、何度か身を反らせ、やがて静かになった。
気がつくと、ぐんぐん縮んだ体はジャバラを畳んだようにシワシワになり、元の青虫の長さの半分ぐらいに縮んでいる。





そして、また気付いたときには、シワシワがなくなってすっきりときれいな、勾玉(まがたま)のような前蛹の形に変わっていた。





翌日の夕方。ついさっきまで勾玉型を見たばかりだったのに、全く気付かないうちに脱皮し、バルタン星人のような頭の蛹に変わっていた。前蛹となってから、ほぼ1日後にあたる。



時々、微かに動くにつれて、まっすぐだった体が少しずつ反り身になっていく。その端正なストイックな姿は、昨日のやんちゃぶりとは別人ならぬ、別虫のよう。
世話を焼かされなくなったのが寂しいぐらいに情が移ってしまっている。
覚えているかい?  そっと撫でたら、ぴくんと動いた。